15時発 夢の地下鉄汐里線

ハロヲタのための24のガヴォット第15番ニ短調

秋桜(高橋愛)


  
  薄紅のコスモスが 秋の日の
  何気ない陽だまりに 揺れている
  この頃 涙もろくなった母が
  庭先でひとつ 咳をする


さきごろ発売された チャンプル1 の収録曲
夏のハロコンでもワンコーラスだけ披露されている。

いわゆるスタンダードナンバーで
オリジナルは1977年に山口百恵の19枚目のシングル 
としてリリースされたもの (アルバム”花ざかり”にも収録)で
このときのキーは ヘ短調
ただ 作曲者の さだまさし も歌っているので
そちらがオリジナル と解釈したほうがいいかも


いまだに結婚式などで歌われている曲なので
知っている人は多いだろうが
この曲の歌詞にはいろいろと問題も多い

同じ チャンプル1 に収録されている”関白宣言”もそうだが
さだまさしの超保守的な結婚観というか家族観というものが露骨に出ている
冒頭はそれこど 何気ない 風景描写で始まっているが
そのあとの歌詞はかなりあざとい

ここに描かれているのはもはや 背景 ではなくて 実質的に主役である
庭先で咳をする母 にスポットをあてることによって
主人公の心情は逆に背景になり
とてつもなく古い価値観が無意識のうちに聞く者に押し付けられてしまう

精霊流し” で走り回る弟 と同じ手法だが
まだあちらはそれほど嫌な気分にはならない。
しかしこの 庭先で咳をする母 は
あざとさが露骨に透けて見えてくるだけにとても嫌な気分になる。


同じニ短調の曲で井上陽水の”人生が二度あれば”という曲では
やはり年老いた父や母の姿を描いているが
自然な感情の結果なので共感できる。

だがさだまさしの描く世界は悪質な作り物である
主人公は 嫁ぐ娘 であるから男性の実体験でないのは明らか
そのへんにイヤな感じの原因があるのかもしれない。


これとは別に意味のよくわからない背景 も聴いていてイライラする