15時発 夢の地下鉄汐里線

ハロヲタのための24のガヴォット第15番ニ短調

 お茶の水あたり(江口有子)

erika00152008-05-30



♪夕方になれば 学生の群れが 
流れてゆく 流れてゆく お茶の水
 いいかげん彼の ことなど私 
忘れたいのに 忘れたいのに まだだめよ
 茶色いセーターいつも着て 背中丸めて歩いていた人
 そんな姿の人見ると もしやと思ってしまうの
 あの人がいない街はお店も通りも 
悲しみ色に閉ざされている。


70年代は名曲の宝庫だったとつくづく思う。
この曲は江口有子のデビュー曲で 
1度だけTVで歌っているのを見たことがあるが
それほど売れたという印象はないし 知らない人のほうが多いと思う
しかし哀愁にあふれたメロディーと情景がすぐに浮かぶような歌詞で
1度聴けばしっかり耳に残るはずである。

70年代から80年代くらいまでの曲に共通することだが
詩には説得力があり メロディーは美しい
そしてアレンジが曲を壊すことがなく 自然なリズムに乗っている

このまま埋もれさせるのは惜しい


お茶の水 という地名は結構東京ローカルかもしれないが
大学の名前になっていたり 中央線の駅があったりするぶん
全国的にも名前だけは知られているだろう
2番の歌詞では


♪あれから私も変わったわ 生きる悲しみわかってきたのよ
 今日も寂しい顔をしてこの街訪ねてしまうの
 あの人がいない街はお店も通りも 悲しみ色に閉ざされている。

生きる楽しみ ではなくて 生きる悲しみ であるところが
この時代の歌に特有の厭世観だろうか 同じニ短調

♪生きてることはただそれだけで悲しいことだと知りました。

赤ちょうちんかぐや姫) を思い出してしまうけど
そういう時代の空気 は反映している いわゆる 歌は世につれ だ


なぜ お茶の水 なのか その理由もきっとそのへんにあるのだろう


だが そのへんになると東京の人は お茶の水 がどのような街か知ってても
地方の人には想像がつきにくい
むしろ鉄腕アトムの お茶の水博士 を連想してしまうぶん
コミカルなイメージとつながるからこの歌のシリアスなイメージに重なりにくい

歌を作る人は東京在住が多いから東京ローカルな地名を
歌詞の中につい使ってしまうのだろうが
地方在住者には ? というものが多いのだ


データを調べてみたらこの曲は1976年1月25日発売で
山上路夫・作詞/都倉俊一・作曲 となっていた。

1973年〜1975年くらいまでが叙情派フォークの全盛期であったから
結果的にはブームに乗り遅れた ということだろうか

この年の6月25日には 同じ都倉俊一の作曲による
ペッパー警部ピンクレディー)が発売され やがて大ブレイクする

歌詞をじっくり聴かせるタイプの音楽から
衣装で魅せるタイプへと変化していく時期だったのかもしれない